2014/10/2(木)堂本剛@東京国際フォーラム

ライブだった!ちゃんとライブだった!!楽しかった。グルーヴがあった。説法がなかった。パンティに同封される新曲もよかった。
久しぶりに語りたいモード入るぐらい素晴らしいライブでした。やっぱり私つよしさんの歌声が好きなのよー。ぐだぐだ妄想と詮索語ってもいい?かなり時代遅れですけど。




これを考えるのが嫌だったから最近つよしさんと疎遠だったのかもというぐらい、最近のつよしと向き合おうとするたび、必ず考えてしまうことがあるんです。それは、なぜ、私はシャーマニッポンに興味が持てないのか、あまつさえ反感を覚えるのか。


その答えを、今日貰ったような気がします。
「シャーマニッポンて、それつよしが本当に言いたいことなの?心の底から思ってることなの?」
これが好きになれない違和感の正体だ。そしてその答え・・・シャーマニッポンて、剛にとっての隠れ蓑なのかな。


そして同時に気付いたのです。なぜ剛は、私が好きになった曲はなかなかやってくれないのか。なんとなく自分とつよしの方向性が違うことに勝手に傷ついたりしてたけど、別に間違ってないというか、それこそどんぴしゃすぎたのかもしれません。


どういう意味かというと、私が特に好きな曲はどれもきっと、彼が彼自身の心をえぐるようにして作った、当時の心情を吐露した曲なのではないのか。彼の根っこは引っ込み思案で自分に自信がない"Coward"だから、きっとそういう曲を歌うのはしんどい。おそらく、嘗ての自分の思いを客観視しながら、もしくはまた当時の気持ちをよみがえらせながら歌う行為は、きっととてもしんどいことだと思います。
だからこそ、シャーマニッポンという城壁を、繭を作って、その壁に書かれた標語ばかりを歌うのかもしれない。標語は人に伝わりやすいし、今の時代に共有しやすい言葉を選んでいるから。発言ほとんど追ってなかったのでうろ覚えですが、彼はシャーマニッポンを、思想とか共和国みたいに言ってたと記憶してるんですけど・・・ところがどっこいシャーマニッポンとは、本当はつよしのための囲いなのだと思う。もちろん中身はつよし、だけど囲いが頑丈で見栄えがいいから中身はなかなか表に出てこない。そのうち壁に書かれた標語が独り歩きしてくれる。


そうやって考えると、シャーマニッポン以外の歌は、(もちろん昔からのライブの定番曲だったりもありますけど)時を経てやっと歌えるようになったものから歌ってるんですよね。なにかしら消化したのか、昇華できたのか、とにかく彼なりの覚悟ができてやっと歌えるようになった。だから、Laindrop Funkyだって、See You In My Dreamだって、いつか歌ってくれるかもしれない。そんな希望を持つことにしました。



あーしっかし、今日のバンドのGrooveで、屋敷豪太さんのドラムで、Laindrop Funky聞きたかったなーーーーー!!ドラムに引っ張られていたのか今日のバンドすごくよかった。最後のセッション風も全然退屈しなかった。「これだけの日を跨いできたのだから」は、イントロから真ん中の大きな玉に向かってぎゅーって凝縮していって、やがて引力を持つような、吸い込まれそうなものでした。



あとね、えんどりくすさんのころって、「暴く」ことが彼のテーマだったと思うんですよ。とにかく攻撃的で刺激的。悪ぶってるともいうか。

その頃の歌を、大人になったつよしさんの歌で今改めて聞く新鮮さと、聞こえ方の違いがすごかった。いま聞く「I get 暴動 世界!」の素晴らしさったらなかった。「勇者を待つな」って今言われると違うね。なんかね。意味が違うよね。
Love is the key」もね。今の剛さんにとって愛で開くのはどこの鍵だろうか、と考えてしまった。



「赤い鼓動のハート」は、ワンフレーズつかまれればシンガーソングライターの曲としてはOK、そんな曲だった。時々、なぜそこでジェネラリスト(だっけ?)??とかって脱力しそうになったけど、上っていく音階に乗せていいフレーズがあって、そこだけてぐっとつかまれたなー。そしてつよしさんにとって「煌びやか」が最近のキーワード? MCと、新曲(これじゃないかもだけど)に出てきたので気になっている。



と、タイムオーバーなのでいったんあげます。こういうことぐだぐだ考えるの久しぶりで、勝手に楽しい。(笑)