大学生でなくなるということ

大学生でなくなるということを、ふと考えてみた。
現在は毎日が余暇の合間に勉強してるというか、
そもそも私の学問は興味関心に根ざしているので、
余暇の間に余暇してるっていうか。


いわいる幸せで怠惰な時間を浪費させていただいているわけです。


働き始めたら、まず、毎日の余暇は消失しますね。
平日の大半は仕事に費やし、暗くなってから家に帰って、
家事をして、少しだけテレビ見たり音楽聴いたりして寝る。
やがて起きて仕事場に行く。
毎日の余暇が週末に(出来ることなら週末にしたい・・・)まわる。
すると、毎日の余暇でしていた娯楽を週末に回すことになり、
そこで難しいことを考えるような余裕は、どう考えてもないだろう。
というか考えたくなくなるはずだ。
人間休みが必要だ。


つまり今の生活から一番変わるのは、
難しい本を「難しい」と言いながら読んだりはしなくなることだと思う。
その本を読んであーだこーだ考えたりもしなくなるだろう。
形而上の問題を論議することもなくなるだろう。


高校受験時代の生活に戻るだけだ、と思えば、
その生活スタイル自体にはそれほど恐れを感じない。
高3ん時なんて月休2日ぐらいで毎週末の模試受けてたんだぞ。


ただただ、考えることを自ら終結させてしまう、
その寂しさ。
終結の区切りが卒論なんだろう。




あと実質八ヶ月か。有効に使わなければなぁ。
と、やっと大学生活の尊さを感じ始めた私。