しょっくへのひどい感想

今のところしょっくは会期中一回にしているので、今年のマイ初日かつマイ千秋楽なり。

ハイクにぽろぽろこぼしたけれど、三度目の今回で初めて全体を通して冷静に見た感。場面のつなぎとか、その場面が夢か現かやっと把握した気すらするもん。笑


以下感じたことぽろぽろ。不満編。




しょっくのストーリーに対して、私は根本的には納得も共感も出来てないし、これからもたぶんしないと思います。

しかしそれは、別に納得できない舞台がよくないということではない。しょっくという舞台はとても素晴らしいものです。ほーっとなる部分が諸所あります。フライングも、技を観るべきものに昇華させるとあれほどに美しいものなのかと、「はー?フライングなにそれそんなん観に行ってどうすんの?」って思ってた昔の自分をぶん殴りたいし。



だからそこ、こんな風にしてしまってもったいないという部分がたくさんあって、歯がゆいし悔しい。




えーと、結構ひどいこと言います。特にオーナーに。






仲良くしているお友達やダイアラさんから「オーナーが・・・」って感想をけっこう聞いていて。でもしょっく自体に慣れていない私は、おそらくフライングだ殺陣だあああれがあの噂に聞くシーンだ!ってほうに気を取られていて、よくわからなかったんです。



今年やっと、そしてうんざりするほど、「オーナー・・・!!!!!!」って実感しました。




あげ連ねていくときりがないのですが、なによりも舞台の真の内容と矛盾しているところ、そこをおざなりにしてはいけないんではないか? という部分にひずみができているところが本当に嫌だ。
私が感じたそれは、コンティニューの立ち位置です。


なんでオーナーが真ん中なの?


私は、しょっくは役者の話だととらえていて、コウイチが消えたあと引っ張っていくのは新しい世代=ウチで、それを一緒にやっていくリカや役者のみんな、そしてサポートするオーナーっていう構図だと理解していたのですが、違うのかしら・・・。エンディングでほわーっとしてたのにあの立ち位置に気づいてしまい、一気に覚めてしまいました。少なくとも、ウエクサオーナーは年齢的にもリカの親という役割的にも“過去の人”なわけで。バトンを引き渡す相手ではないはず。
帝劇にかかわるようなスタッフの人たちが暗示的な部分に気を使わないわけがないから、そうさせているのは事務所の序列だろうけど、そんなの舞台上で見えるのおかしいでしょ。


それに、オンブロードウェイの大舞台で「ついつい出ちゃった♪」なんてぶっちゃけ変だし・・・。そんなの通用するのそれこそ内輪ばかりの舞台か、客が優しいとオーナー自身が言ってる”ジャニーズ”舞台だけでしょう。しょっくにはそうなってほしくないなー、少なくとも、そういう挙げ足の取りやすい部分は必要ないと思う。舞台人だったてふりはあるんだし、「オーナー昔取った杵柄で出演!」のほうがよっぽど自然だ。


アドリブも全体的に小手先のばっかりでがっかりした。



ウエクサオーナー以前は若いオーナーだったので、「新しいものを目指してひたむきに目指す集団」としてはその方がいいのかもしれないなーとかたっぽだけしか見てない人間として勝手に想像しました。

コウイチを死なせてしまった(死ぬ事故を防ぎきれなかった)ことにおいて、若いオーナーとウエクサオーナーでは贖罪の質や意味が違うものになるだろうし。ウエクサオーナーの贖罪の重さは、新しい集団のそれを描くうえで少し毛色が違ってきてしまうかな、なんて考えたり。




あんなに光一が素敵でも私がしょっくに複数回行く気になれれないのは、こういう見逃せない部分での不満があるからだと今回でわかりました。来年のオーナーは誰だろうなぁ。とにかく、行かないという選択肢はないから、少しでも改善されたらなーと思いつつ、今年の観劇はおしまいです。


不満ばっかりですみませんでしたー(平謝り)